山本リンダ


 前回、ウルトラマングレートの話から必然的に京本政樹に言及することになりました。それで思い出したのが「京本政樹のHERO考証学」(平成4年・バンダイ)。B-CLUBの連載に補筆したものですが、写真が奇麗だったので買っておいたのです。
 探し出して開いてみました。写真もさることながら、時を経て価値を見出すのは、ヒーロー番組出演者へのインタビューでした。俳優が俳優にインタビューすることは有効で、同業者としての安心感もあるし嘘も言いにくくなります。黒部進、森次弘嗣、坂口徹郎、藤岡弘、伴直弥、団時朗、宮内洋……。佐々木剛には連絡が取れなかったのか、代わりに、何と!山本リンダに話を聴いています。この人の長い芸歴の中の「仮面ライダー」に出演していた半年間だけを切り取ったインタビューというのは後にも先にも無いと思います。

 山本リンダがレギュラーで出演していることについては、共演者ですら不思議がっていました。その謎が京本政樹のインタビューによってあきらかになっていきます。
 昭和46年春、リンダはミノルフォンレコードからキャニオンレコードに移籍するのですが、当時、レコード会社を移籍した場合、半年間は歌手活動ができない慣例がありました。会社としては、遊ばせているくらいなら女優でもやらせようということになります。リンダは「プレイガールに出たい」と希望を言います。それがなぜか「仮面ライダー」になっていたのでした。最終的な真実は両方の番組を担当していた阿部征二プロデューサーだけが知るところなのですが、キャニオン=リンダ側から申し出があったタイミングは、藤岡弘が骨折して急遽2号ライダーの準備をしていたときだと考えられます。
「どうにもとまらない」を発表するのは半年経って「仮面ライダー」を降板した後です。ここからが我々の知る破天荒な印象の山本リンダです。では、それまでの山本リンダとはどういう存在だったのか?想像しにくいのですが「こまっちゃうな」の一言で一世を風靡したというのです。言われてみると、ショッカーの攻撃に対してリンダ(役名マリ)は「こまっちゃうな」を多用しています。笑福亭松之助作の際物落語「仮面ライダー」の中でも山本リンダの「こまっちゃうな」がドラマの緊迫性を台無しにすると指摘されています。

 笑福亭松之助の「仮面ライダー」は当時、よほどウケたようで速記が残っています。私もそれで知るのみです。これを梅田花月の実演で聴いたのが奈良の高校を卒業して大阪に出てきた杉本高文少年。のちの明石家さんま。「一文字隼人たらゆう男がさとつぼみたいな面かぶって…」の『さとつぼ』に打たれて弟子入りを決めたといいます。真偽のほどはともかくとして、すばらしい言語感覚です。

 話がそれましたが…それでは「仮面ライダー」の中で山本リンダが浮いていたかというと、けっしてそんなことはなく、むしろH2Oの中に入れた砂糖の結晶のように親和していました。まだお元気そうなので、いま一度「仮面ライダー」に出てもらいたいと思います。こう書くと儀礼的にまとめたようですが、仮面ライダーファンは必ず大喝采で迎えるはずです。
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