ペギラ


「宇宙船」Vol.12(昭和57年11月)。50年代空想科学映画集大成。宇宙船が創刊号以来提示してきた主題なのですが、読者の興味は日本の特撮作品、そしてフィギュアに移行していきます。初めて募集された自作SFモデルコンテストの結果が発表されています。
 作品研究は「忍者部隊月光」。海外の名作SF映画を紹介してくれるよりも、出来不出来に関係なく、日本の作品を検証して欲しいというのが読者の願いです。とくに昭和30年代の白黒作品は再放送の機会が無く、そのまま歴史から消えてしまいそうな危機感を特撮ファンは共有していました。「忍者部隊月光」は有名な作品なのですが、放送当時を知らない者には熱気が伝わってきません。放映リストを見て驚きます。昭和39年から41年にわたって130回もやっていたのです!後年CSで録画しながら観ていたのですが、途中でくじけてしまいました。音楽が渡辺宙明さんであることから、戦隊シリーズの元祖とする見解もありますが、黒タイツにベレー帽とブーツというスタイルの忍者集団が出てきます。これは、まさにショッカー戦闘員です。

 この年の七月に亡くなられた高山良策さんの訃報に、美術評論家ヨシダ・ヨシエという方が追悼文を書かれています。怪獣の造り手としての高山さんについては宇宙船読者のほうが詳細に御存知だろうという謙虚な書き出しなのですが、一箇所だけ否定したいところがあります。高山さんは昭和13年から昭和15年まで輜重兵として支那大陸に出征していました。ヨシダ氏はこれを、戦闘を主任務とする兵科よりも輸送業務だけの輜重兵は、おだやかな性格の高山さんにとってはすくいであったと書かれています。それは違います。輜重兵として招集されると、なんの教育もされずに現地に送られます。そして、後方の補給基地から前線へ弾薬糧抹を運ぶのです。他の兵種からは戦闘員として見られません。高山さんは、それなら自分たちは何だろうと考えて「牛か馬」という結論にたどりつきました。人間として相手にされていないのですから、いじめられることもありません。こういう待遇をされていると、心まで「牛か馬」になってしまいます。高山さんは、人間であるために絵を描き続けたのです。ただし、人間でありながら家畜の扱いを受けることは、銃で撃たれるよりも過酷な状態です。
 高山さんがウルトラ怪獣を造っていた時代は、ちょうどベトナム戦争の時期と重なります。社会主義とか共産主義に与するものではないにせよ、ジャングルにひそんで強大なアメリカ軍相手にゲリラ戦を続けるベトナム兵に、日本人の多くは心情的に味方せずにはいられませんでした。高山さんが怒ったのは、アメリカの爆撃機が爆弾の代わりにコンクリートの固まりを落としたときでした。「殺すなら人間として殺せ!」と。
 私は、コンクリートに当たって殺されるのと、高価な原子爆弾で殺されるのと、どっちがいいのか考えてみました。広島に原爆が投下されたとき、犠牲者や被爆者に同情するよりも、各国はその数値データを欲しがりました。牛や馬ですらない、ただの数字です。……いま、平成の日本人は、動物ほどの悲しみもないナンバーとして存在しているだけのような気がしてきました。
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Author:ハヌマーン&さとる
怪獣本・特撮書籍の蒐集。

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