にせウルトラマン


「写真集特技監督 円谷英二」(平成5年・朝日ソノラマ)竹内博さん渾身の編集。自身が出版物で既用した写真との重複を避ける配慮があったり、上梓後に見つかった資料については「宇宙船」の連載で発表し追補・訂正をする誠実さ。インターネットの記事をつなぎあわせて適当な論文を書く人には反省してほしい。
 この写真集を見ると円谷英二はいつもたばこを銜えているか指に挟んでいます。可燃物だらけの特撮スタジオの中でも、やはり火のついたたばこを持っています。明治時代の小学生はたばこを喫っていたという話を聞いたことがあります。教室に灰皿があったともいいます。糀屋を手伝って現金収入のあった英一もたばこを常用していたのではないでしょうか?たばこをふかしながら模型飛行機を造っている子供の姿がうかびます。「風立ちぬ」を観て、堀越二郎の喫煙シーンが多いことに現代の感覚でクレームをつけた人がありましたが、もし円谷英二がアニメになって、手にたばこを持っていなかったら、その映画は全部ウソになります。
 生前を知る人から寄せられた追想文が写真とは別に興味深く、実現しなかった企画「日本ヒコーキ野郎」と「かぐや姫」のことがわかります。羽田に日本初の飛行学校が開校。15歳の円谷英二は入学するのですが、主任教官が墜落死して5ヶ月で閉校しました。しかし、操縦技術は身につけたようで、東宝時代に撮影した飛行教育映画は、自分で陸軍の中間練習機を操縦していました。堀越二郎さんや糸川英夫博士といった人達によって日本は世界一の飛行機国になるのですが、敗戦で飛行機を作ることは禁止になりました。日本人に飛行機を作らせたら恐ろしいと。円谷英二は、なによりも飛行機にかけた人々の情熱が歴史から忘れ去られることを惜しみました。映画の形で残さなければならないと使命感に燃え、文字通り奔走します。明治大正の航空史を書いた小説「空気の階段を登れ」の著者平木國夫さんのもとへは何度も訪れました。友達だった森繁久彌にはテレビドラマにできないかと相談していたそうです。

「かぐや姫」についてはスクリプターだった鈴木佳子さんが、円谷英二から聞いた不思議な企画意図を書いておられます。子供の頃、家路を急いでいた黄昏時、道端で出遭った近所の少女が周囲の風景から鮮明に浮き出して見えた、あの一瞬の美しさを特撮で再現したいと考え続けていたというのです。脚本は上原輝男さんに依頼されます。この人は次男の昂さんの高校の担任の先生でした。その後輩金城哲夫も受け持ちます。国文学を専攻し、戯曲研究会の会員でした。円谷英二の印象として、まず産業映画人らしさが無いことに好感を持ったと書かれています。日本飛行学校、神田電機学校卒業という理論派実践的な経歴ですが、「かぐや姫」の本質、詩的幻想性を理解してくださる方とわかって尊敬できたと懐古されます。余談ですが、作家吉村昭さんは「零式戦闘機」という作品を書くときに堀越二郎さんを取材するのですが、技術者と小説家ではどうしても合わなかったと語っておられました。
 スクリプターの鈴木さんも円谷英二は詩が好きだったという印象が残っていると言い、矢島信男特撮監督も円谷英二の本質は技術者ではなく詩人だったと観ていました。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

ザラブ星人

最近ホンダジェットやF3で騒いでますが、
敗戦国の日本とドイツは、航空機製造を10年以上禁止されたことを記者は知ってるのかな?

この10年の遅れというのは取り返しがつかないですね。
車のエンジンくらいならともかく、ジェットエンジンやロケット製造はおいつけないですね。

正義の味方の偽物は、古くは鞍馬天狗の偽物がありましたね。
鉄人の「ニセモノ事件の巻」には狂喜しましたね。
ザラブ星人もメフィラス星人には赤子の手を捻るようなもので・・

昭和40〜50年代に富士重工が販売していた軽飛行機エアロスバルの広告を持っています。リリエンタールのグライダーから始まる航空機の歴史が綴られています。メッサーシュミットやスピットファイヤが出てくるのに、自社が製作した戦闘機「隼」にふれられていません。欺瞞の歴史として保存しています。
 ふれられなかったと言えば、小惑星「イトカワ」と探査機「はやぶさ」の関係。隼戦闘機の設計者が糸川英夫博士でした。

 にせウルトラマンとアボラス&バニラの特撮は円谷英二が監督。にせウルトラマンをかっこよく描いてやろうと思いました。
プロフィール

ハヌマーン&さとる

Author:ハヌマーン&さとる
怪獣本・特撮書籍の蒐集。

カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログランキング

FC2Blog Ranking