奇岩山の決戦


 宇宙船文庫「仮面ライダー青春アルバム」(昭和61年6月)2号ライダー編からZXまでの本。
 今回のイラストはストロンガー最終回、怪人軍団と大首領の待ち受ける奇岩山に集結した七人の仮面ライダーの図。仮面ライダーシリーズはここで一度区切りがつきます。放送日は昭和50年12月27日。戦後30年の節目の年です。平成も30年で終るそうです。特撮史としては技術には随分と進歩がありましたが、「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」を超えるものは出ませんでした。偉大な芸術は民族の悲劇から生まれるという説は特撮にも言えそうです。偉大なる日本特撮を生んだ民族的大悲劇とはもちろん大東亜戦争です。
 平成に悲劇が無かったと言えば、阪神大震災、東日本大震災を忘れるなと返されそうですが、その規模の地震は、サイパンが陥落しB29による爆撃が本格的に始まった昭和19年12月7日に発生していました。東南海地震。マグニチュード7.9、震源は南海トラフ。東北から九州まで体感できる震度でした。被災中心地である愛知、静岡、三重は国内の飛行機工場の半数が集まっています。零戦増産計画は頓挫しました。そして、調査や片づけが終わらない12月18日、同じ地域がB29の大編隊の爆撃を受けました。この地震が忘れられた理由です。さらに、“知られざる”と付けて語られる東南海地震の陰にかくれて、昭和20年1月13日。やはり愛知県でマグニチュード7.1の三河地震が発生しています。もっと記録が乏しく、死者は1000人~2000人だったとされています。

 零戦増産に指定された工場では、空襲警報が発令されても作業を中断して避難することは許されませんでした……。
 東北の震災では、幼稚園の先生の避難指示が不適切で子供が津波にさらわれたと裁判を起こした人がいました。こういう思考パターンからは特撮ヒーローは生まれません。子供の命がお金に換算できる世界に仮面ライダーは共存できないのです。

「仮面ライダー青春アルバム」にも、平山亨プロデューサーによるオフィシャルストーリーが書き下ろされています。「FBI特命捜査官・滝和也」。アメリカ南部オクラホマで日系三世として生まれ、差別に抗うためにケンカとバイクにのめりこんだ少年時代。世界を旅してベトナムで拳法家ジン・ルンに弟子入り。戦争に巻き込まれるのですが、はからずもベトナム側についてアメリカ軍と戦ったために、帰国してからFBIに逮捕されました。ところが、端倪すべからざる腕前に着目したフーバー長官にスカウトされたのでした。
 …一つ疑問がわきます。こんな面白いストーリーを考えることが出来るなら、伊上勝さんにばかり脚本を書かせずに自分で書いたらよかったのではないでしょうか?これから、しばらくは伊上勝という脚本家について考えてみようと思っているのですが、結末から先に書きますと、平山さんに絞り取られて捨てられた人です。アイデアがまったく出てこなくなり、酒飲んで布団かぶって泣くばかりの夜の果てに、若死にしてしまったと伝えられます。
 かといって真面目で気の弱い人ではなく、むしろ不真面目で豪快な人だったようです。子供番組専門の作家でありながら息子(井上敏樹さん)には良いお父さんではありませんでした。本郷猛にしろ風見志郎にしろ女には見向きもしない硬骨漢ですが、御本人は逆でした。敏樹さんが書いた「仮面ライダー牙」のちゃらちゃらした父親・紅音也のモデルが伊上勝さんだとも言われています。

 さて、脚本家伊上勝のデビュー作は昭和34年の「遊星王子」。広告代理店宣広社の制作で、伊上さんは社員でした。部下だったか後輩に、阿久悠さんがいたことは知られています。阿久さんといえば、その世代の女子にはピンクレディーの人かもしれませんが、円谷皐さんと仲が良くて「ウルトラマンタロウ」からのシリーズの主題歌も書いています。
「遊星王子」は「月光仮面」の後番組かと思っていたら、別枠の作品で、宣広社としては同時進行で作られていました。「月光仮面」だけでも時間が無くて大変だったと聞いているのでよく出来たなと思います。

 遊星王子は宇宙人で、人間の姿で生活しています。新聞社の前で靴磨きをしていて、知り合いの記者からもらう新聞紙が情報源です。その守備範囲は広く、宇宙ロボットと戦うこともあれば、野球賭博にも首をつっこみます。
 驚くべき男なのですが、このヒーローについて当時の子供の評価を聞いたことがありません。今後も評価の上がることの無さそうな作品だと思いますが、伊上さんには思い入れがあったようです。唯一のウルトラ脚本である帰ってきたウルトラマン49話「宇宙戦士その名はMAT」に遊星王子を演じた村上不二夫をゲスト出演させています。
    つづく
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仮面ライダーストロンガー


 つい最近、四天王寺の古物市で手に入れた「テレビマガジン」昭和50年7月号。露店のおっさんが2500円と言うのを、2000円に値切って買いました。カードの切り離しや落書きの無い完本。古書店やオークションなら6000円から10000円の値がつくしろものです。私の買い物上手を誇りたいわけではありません。昔のテレビマガジンが高値で取り引きされるわけは仮面ライダーの第一級資料だからなのですが、果たしてそれだけのものなのでしょうか。戦前の「少年倶楽部」、高度成長期の「少年マガジン」、既に歴史的評価の確定した講談社の子供雑誌の雰囲気と良心を引き継いでいたのが、ある時期のテレビマガジンだったと断じたいのです。
 少年マガジンより早い、昭和29年に創刊された「月刊ぼくら」が「週刊ぼくらマガジン」になり、昭和46年に少年マガジンに吸収された後、同年11月、仮面ライダーを前面に押し出した「テレビマガジン」が創刊されました。創刊号の表紙は2号ライダーがメインで、ムササビードル、スペクトルマン、星飛雄馬、石田国松、バカボン親子。天才バカボンの漫画連載は「ぼくらマガジン」からで、テレビアニメ終了後も掲載され続けました。
     
 それでは、昭和50年7月号を見てみます。仮面ライダーはストロンガー。グラビア特集はストロンガー電気人間の秘密。モノクロ頁の少年仮面ライダー隊新聞には、謎の大幹部Xが日本に送られてくるという情報が載っています。すでにコスチュームは完成していて、胸にGのイニシャルがついているので、ジェネラルシャドーという名前は決定していたことが察せられます。しかし、テレビに登場するまでは仮名だったという歴史的事実こそが、資料として第一級なのです。漫画連載は成井紀郎さん。ウルトラ漫画に内山まもるさんがあるとするなら、ライダー漫画は成井紀郎さんです。バランスの難しいストロンガーがしなやかにかっこよく描かれます。成井さんが描いたストロンガー最終回はテレビに劣らないくらいに感動的なのです。
 テレビマガジンという名目上、芸能ニュースも多少あります。当時の一番人気は西城秀樹だったようで、この人の動向は毎号詳しく伝えられます。読者からのおたよりもあります。西城秀樹さんの新曲「傷だらけのローラ」は女の人の名前を連呼するのが女々しくて不快…といった、少女向け雑誌とはちょっと違う反応です。
 そして、私が少年倶楽部の後継誌がテレビマガジンではないかとする根拠の一つは絵物語が載っていることです。細密なペン画の挿絵が往古の雰囲気を感じさせます。今号にも二本あります。「少年徳川家康」と「死の谷をとんだ男」。「少年徳川家康」というアニメが放送中だったのですが、テレビマガジンの判断はセル画を使わず、南村喬之さんによるペン画で絵物語連載にしました。「死の谷をとんだ男」は実在のスタントマン、イーブル・クニーブルがオートバイで谷を飛んだことを、さも偉業のごとく感動的に語ったものです。
 また「なんでも ものしり大学」は、かつての少年マガジンに大伴昌二さんらが書いておられたような教養(雑学)記事です。今号は海のシーズンにむけて「海のかいき50」。幽霊船とか怪魚とかの豆知識が満載です。ほかの号では、恐竜、宇宙人、超能力、吸血鬼、人食い人種、うんこ等がテーマとして取り上げられました。

 当然ながら、週刊少年マガジンの広告も載っています。タイガーマスク研究会として、あらためて驚いたのは、「愛と誠」と「空手バカ一代」と「紅の挑戦者」が連載されていることです。梶原一騎は三本の作品を同時に進行させていたのかと思ったら、月刊少年マガジンの方にも「空手戦争」が連載されています。凄まじいというか呆れるというか、仕事を想像しただけで疲れるようです。      つづく
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ハヌマーン&さとる

Author:ハヌマーン&さとる
怪獣本・特撮書籍の蒐集。

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