ショッカー2


 宇宙船文庫「仮面ライダー立体資料集」(昭和61年11月)。仮面ライダーの研究的検証は、シリーズ空白期に始まりました。モデラー達はフィギュアを造ったり、マスクを再現しようとするのですが、まず、旧1号の色が判りません。主題歌では〽緑の仮面~と謳われているのですが、テレビ画面や印刷物では、うすいブルーか濃いグレーに見えます。市販のラッカーに無い色です。
 実は、ダークグリーンに塗られていたのですが、フィルムに写ると真っ黒になるので、その場でプッとパールを吹いたのでした。その分量は当然不明です。目の色が中途ハンパにピンクなのは、本当は透明にしたかったのですが、当時の材質には不純物が混じっていたので、成型して硬化させると計算外の赤味が出てしまったのです。2号からは、ザボンのクリアレッドを塗って真っ赤にしてしまいます。
 その2号の仮面の色も一定しません。最初は緑だったのですが、その塗料が切れたので黒になります。新1号編ではライトグリーンになり、その後も緑になったり黒くなったりしながら、現在はライトグリーンです。

 立体資料集、圧巻は西村祐次さん構成執筆の仮面ライダーおもちゃコレクション。参入したメーカーはタカトク、バンダイ、ヨネザワ、ブルマーク、マスダヤ、タカラ……そして数多の海賊業者。商品数において比肩する番組はありません。仮面ライダーによる当時のバンダイの年間収益は300億円とも500億円とも云われています。昭和47年度の東映の収益も300億円でした。毎日放送と石森プロにも同等の利益が配分されていたものと推測できます。
 立体物ではありませんが、仮面ライダースナックのカードについても言及されています。噂ですが、かっぱあられから社名を変更したカルビーはライダースナックの売上で、北海道に広大なじゃがいも畑を買いました。そこで採れたじゃがいもで作ったサッポロポテトとポテトチップスが、大ヒット商品になります。実はそれまでの日本人は、おやつとしても主食としてもあまりじゃがいもを食べていなかったそうです。

 仮面ライダーが日本人の食習慣を変えたと言えば牽強付会になりますが、この時期、異常な本数の怪獣怪人番組が作られたことの原因は仮面ライダーにあります。安く作ってガッポリ稼げるのが変身番組だと思われたのです。玉石混交であることは論証するまでもありませんが、唯物弁証法量質転換の法則というか、この時代の作品群が現在に続く日本特撮と特撮ファンの資源であり宝物です。

 仮面ライダーの功罪。その罪障も特撮ファンとしては糾弾しておきたいと思います。仮面ライダーが稼ぎ出した100億円とも1000億円とも云われるお金は、いも畑の買収に使われこそすれ、撮影現場に還元されることはありませんでした。製作予算の相場として前例になり、スタッフや俳優の困苦は後々にまで続きます。
 仮面ライダーにおける平山亨さんと伊上勝さんの罪科は、子供番組の程度を下げたことです。日本の子供番組は、実写にしろアニメにしろ、最初から高度なものを指向していました。昭和34年の東映テレビ作品「七色仮面」は、ストーリーにおいて「仮面ライダー」より複雑難解です。「仮面ライダー」の企画書には参考作品として東映動画の「タイガーマスク」が挙げられていますが、核心にあった、人間の成長を描き剰え社会問題を追及せんとした気概は継承されませんでした。
 平山さんと伊上さんには大傑作「仮面の忍者赤影」があります。面白さと完成度において「仮面ライダー」は、これを超えていないと思います。それでも、商品として、具体的な金額で証明されたら、仮面ライダーで採られた手法は正しかったことになるのです。
        つづく
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ショッカー


 宇宙船文庫「仮面ライダー 変身ヒーローの誕生」(昭和60年7月)。仮面ライダーの神髄、第1話から第13話と、一文字隼人登場の第14話のストーリーガイドと設定資料。ただし、この本の白眉は、平山亨プロデューサーによるオフィシャルストーリー「二人ライダー秘話」。
 電光ライダーキックでトカゲロンをたおした後、本郷猛はどこへ行ったのか?「ショッカーの別計画を追って、ヨーロッパに行きました」と、本編中では一文字隼人の口からサラッと言われるだけです。ヨーロッパに戦いに行ったのは本当なのですが、いま一つ大切な用事があったのでした。緑川博士の娘・ルリ子が自分のことを好きになってきています。これをなんとかしたかったのです。『よわったなあ……わし、改造人間やで。結婚出来へん。あっ、せや!ウィーン大学のカール・ロートリンゲンがルリ子さんのこと好きみたいやった。よっしゃ。あいつとひっつけたろ。日本は、しばらく一文字隼人にやらせたらええやろ』ということだったのです。むしろ、ヨーロッパショッカーとの戦いは『ついで』のようです。
 その一文字隼人と本郷猛は仮面ライダーに改造される前から面識がありました。スコットランドのオートバイレースに本郷が参加したとき、一文字隼人はカメラマンで来ていたのでした。一文字隼人はイギリス生まれ。父親の名前は一文字博行。職業は外交官。それ以上のことは書かれていませんが、ヒトラーの席巻する戦時下のヨーロッパで、大日本帝国の外交官として活動していたということは、ショッカーについて何か知っていた疑いがあります。ショッカーのショの字でも知れば殺されます。もしかすると…ショッカー創設メンバーの一人か?一文字隼人が、外務省の官吏にならず、自由業を選んだ理由も、ショッカーと父の関係を知ったからではないでしょうか?

 庵野秀明さんが特撮エースで、「風小僧」「七色仮面」から始まる東映子供番組の流れの中で、突然変異のように「仮面ライダー」が出てくると語っておられました。偉才庵野監督の感性にも、その登場は異彩異質なものだったようです。技術的に急に洗練されるとも言っておられました。
 そして、大人気になりました。前回「ウルトラマンA」は迷走していたと書きましたが、最大の因子は「仮面ライダー」でした。円谷英二が使っていた東宝の巨大ステージで撮影している「ウルトラマンA」が、農家の倉庫か工事の飯場と言われた東映生田スタジオで作られる「仮面ライダー」に負けたのでは動揺せずにはいられません。「A」の橋本洋二プロデューサーは生田スタジオを見に行っています。TAC隊員をオートバイに乗せたのはあきらかに仮面ライダーの影響です。

 「仮面ライダー」が斬新で革命的な作品であったことは確かなのですが、内容については、やはり東映子供映画の流れを組む忍者対妖怪でした。製作体制はガタガタでも、その基盤においては迷走することなくブレがありません。
 次回から、メインライターの伊上勝さんについて考えてみたいと思います。

山本リンダ


 前回、ウルトラマングレートの話から必然的に京本政樹に言及することになりました。それで思い出したのが「京本政樹のHERO考証学」(平成4年・バンダイ)。B-CLUBの連載に補筆したものですが、写真が奇麗だったので買っておいたのです。
 探し出して開いてみました。写真もさることながら、時を経て価値を見出すのは、ヒーロー番組出演者へのインタビューでした。俳優が俳優にインタビューすることは有効で、同業者としての安心感もあるし嘘も言いにくくなります。黒部進、森次弘嗣、坂口徹郎、藤岡弘、伴直弥、団時朗、宮内洋……。佐々木剛には連絡が取れなかったのか、代わりに、何と!山本リンダに話を聴いています。この人の長い芸歴の中の「仮面ライダー」に出演していた半年間だけを切り取ったインタビューというのは後にも先にも無いと思います。

 山本リンダがレギュラーで出演していることについては、共演者ですら不思議がっていました。その謎が京本政樹のインタビューによってあきらかになっていきます。
 昭和46年春、リンダはミノルフォンレコードからキャニオンレコードに移籍するのですが、当時、レコード会社を移籍した場合、半年間は歌手活動ができない慣例がありました。会社としては、遊ばせているくらいなら女優でもやらせようということになります。リンダは「プレイガールに出たい」と希望を言います。それがなぜか「仮面ライダー」になっていたのでした。最終的な真実は両方の番組を担当していた阿部征二プロデューサーだけが知るところなのですが、キャニオン=リンダ側から申し出があったタイミングは、藤岡弘が骨折して急遽2号ライダーの準備をしていたときだと考えられます。
「どうにもとまらない」を発表するのは半年経って「仮面ライダー」を降板した後です。ここからが我々の知る破天荒な印象の山本リンダです。では、それまでの山本リンダとはどういう存在だったのか?想像しにくいのですが「こまっちゃうな」の一言で一世を風靡したというのです。言われてみると、ショッカーの攻撃に対してリンダ(役名マリ)は「こまっちゃうな」を多用しています。笑福亭松之助作の際物落語「仮面ライダー」の中でも山本リンダの「こまっちゃうな」がドラマの緊迫性を台無しにすると指摘されています。

 笑福亭松之助の「仮面ライダー」は当時、よほどウケたようで速記が残っています。私もそれで知るのみです。これを梅田花月の実演で聴いたのが奈良の高校を卒業して大阪に出てきた杉本高文少年。のちの明石家さんま。「一文字隼人たらゆう男がさとつぼみたいな面かぶって…」の『さとつぼ』に打たれて弟子入りを決めたといいます。真偽のほどはともかくとして、すばらしい言語感覚です。

 話がそれましたが…それでは「仮面ライダー」の中で山本リンダが浮いていたかというと、けっしてそんなことはなく、むしろH2Oの中に入れた砂糖の結晶のように親和していました。まだお元気そうなので、いま一度「仮面ライダー」に出てもらいたいと思います。こう書くと儀礼的にまとめたようですが、仮面ライダーファンは必ず大喝采で迎えるはずです。

カメストーン


 書斎派というのか出不精といおうか、引きこもり系の私が四天王寺に通うようになって、生活スタイルが一変しました。いまや、すっかりワイルドなアウトドア派です。歩いて30分くらいな場所にこんなワンダーランドがあったとは!“東大もと暮らし”とはこのことです。広大な敷地に堂塔史跡がひしめいています。お釈迦様の足跡もあれば源義経が鎧を掛けた松の木もあります。猿回しを見たり法話を聴いたり写経をしたり…豪快に遊んでおります。ディズニーランドというのは行ったことが無いのですが四天王寺より楽しいとは想像できません。ちなみに千四百年前に公人中の公人聖徳太子が建てたという歴史があり境内は24時間出入り自由なので、公共施設か公園のように思われているのですが、実は四天王寺は私有地です。寺内にある秋野暢子が卒業した名門四天王寺高校も私学です。

 今年は四天王寺名物古本市にも行ってきました。タイガーマスク研究会の参考資料として買った、昭和46年の週刊少年マガジンの感想を書いておきます。
 巻頭カラー特集は大山倍達と「最強!大山空手の秘密」!少女アイドルのグラビアが巻頭を飾る現在の週刊少年マガジンとの連続性は一点も見出せません。「タイガーマスク」は講談社月刊ぼくらで連載が開始されたのですが、週刊ぼくらマガジンに移行し、休刊統合にともない週刊少年マガジンに吸収されます。かつては「ぼくら」の顔で、カラー扉絵に二色刷りだったのですが、少年マガジンに来てからは肩身がせまそうです。この号は、悪役ワールドリーグ戦に優勝するも心身ともにぼろぼろになり、ラスベガスのネオンの中を「つかれた……」とつぶやいて帰っていく後ろ姿がラストシーンです。この後、帰国し、大阪府立体育館の裏道でダンプにはねられて死にます。
「タイガーマスク」を吸収したことで週刊少年マガジンは梶原一騎作品を三本同時連載することになります。他の二本は「あしたのジョー」と「空手バカ一代」。「あしたのジョー」はテレビ局主催のパーティの場面。ここにホセ・メンドーサが紛れ込んでいました。「グッドラック」と言ってジョーの肩に手をかけたら、あまりの握力に跡が残っていたという、あのエピソードにつながります。「空手バカ一代」は大山倍達とピストン堀口がプレミアムなスパーリングをする回。大山倍達とピストン堀口に技術交換を伴う交流があったことは事実。漫画では素人のように言っていますが、実は大山倍達は空手を習うより前にボクシングをやっていました。柔道も三段です。しかし、空手一筋のバカではなく器用な総合格闘家にしてしまったならタイトルに掲げたテーマが薄れます。

 連載漫画の一番後ろに石森章太郎「仮面ライダー」があってびっくりしました。トクをした気分もあったのですが、表紙にタイトルが載っていないことに不審をおぼえました。肩身のせまそうな「タイガーマスク」よりもひっそりとあるのです。ぼくらマガジンが休刊した理由は、仮面ライダーにタイガーマスクが人気を持っていかれたことでした。講談社は仮面ライダー専門誌テレビマガジンを創刊するのですが、石森章太郎「仮面ライダー」の連載は、テレビマガジンに行かず、「タイガーマスク」とともに週刊少年マガジンに移っていたのでした。この号の回は、一文字隼人が日の下電子の謎を探っているうちにショッカーの真相にたどりつく最終回目前のエピソードです。テレビの仮面ライダーが社会現象になるほどの話題になっていた頃、石森章太郎先生の漫画版仮面ライダーは、あまりにも人気が無かったのです。仮面ライダーファンの私も聞いたことがありませんでした。言ってはいけないタブーだったのでしょうか。

 四天王寺前夕陽丘駅のゆるキャラは亀和尚です。生惠幸子師匠のツッコミは「なにゆーてんのドロガメー!四天王寺に行ったらなんぼでもおる」でした。本当に昔、私は四天王寺の亀池から亀を一匹盗んだことがあります。そんな私から四天王寺さんにお願いがあります。亀池の亀を日本種と外来種に別けて、どちらかを西側の丸池に移してもらえないでしょうか?日本産の亀は絶滅が危惧されています。重ねてお願いします。グッドラック。

仮面ライダー2号


「宇宙船」Vol.27(昭和60年11月)。仮面ライダーのデザインからコスチュームの変遷までを徹底検証。この時期、宇宙船文庫のレーベルから「仮面ライダー 変身ヒーローの誕生」「仮面ライダー青春アルバム」「仮面ライダー立体資料集」の三冊も出ています。本格的な仮面ライダーの研究と評価はシリーズの空白期、ライダー不在の間に始まったのでした。ずっと、わからなかったことは、旧1号のマスクの色。フィルムの特性や印刷物によって違って見えるのです。実は濃い緑だったのですが、暗くて映りにくいからと現場でパールのスプレーが吹かれたのでした。したがって、正確に再現することは不可能なのです。複眼は、本当は無色にしたかったのですが、当時の透明ポリには夾雑物が混じっていて成形すると微妙なピンクになってしまうのでした。人為を超えた天慮が配された奇跡の意匠が仮面ライダーだったのです。検証し研究するほどに、そうとしか考えられないのです。

 天意にふたたび人意を加えたデザインが仮面ライダー2号です。現在でこそ造型マニアの評価は下がるのですが、日本中に仮面ライダーブームを起こし、社会現象として諸人に認識されたのはこの姿です。上映中の新作映画「仮面ライダー1号」のキャッチフレーズは『原点にして頂点』ですが、頂点と言えるのは一文字隼人仮面ライダー2号です。便宜上2号と書きましたが、本編ドラマ中では「仮面ライダー」としか呼ばれていません。
 放送開始前の藤岡弘の事故で、東映は急遽代役を捜さなくてはならなくなったのですが、その条件は藤岡より知名度のある役者でした。それが佐々木剛だったというのですが、今となっては、このことも当時を知る人の証言を聞かなければわからないことです。
 VHS時代、昭和46年の大映作品「海兵四号生徒」というビデオを見つけて借りました。パッケージはおそらく当時のポスターデザインを流用したものと考えられ、佐々木剛の名前と写真が大きく出ています。ところが、映画が始まっても佐々木は出てきません。兵学校生徒の一人なのだろうと血眼を刮いて探したら、Xライダー速水亮はいました。しかし、一文字隼人がいません。もたもたしているうちに終戦。負けて悔しがるラストシーンにだけ登場するのです。なるほど、特別なスター扱いされていると思いました。そうなのかと思うと、カニバブラーと戦う北海道ロケ編で、出演者とキャストが当地に乗り込むと、宿屋の玄関に「山本リンダ御一行様」と書かれていたという話が残っています。知名度については、藤岡弘<佐々木剛<山本リンダという順だったのでしょうか?
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ハヌマーン&さとる

Author:ハヌマーン&さとる
怪獣本・特撮書籍の蒐集。

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