薙羅


 宇宙船Vol.52(平成2年7月)。特集「ウルトラQザ・ムービー星の伝説」。佐々木守脚本、実相寺昭雄監督。難解というか難物な映画でした。ストーリーはいたって単純です。縄文時代から地球に住みついていた宇宙人が、現代人による自然破壊に辛抱できず宇宙に帰っていくというだけ。ああそうですかと言うだけです。実相寺監督も、テーマは自然への畏敬だと仰っています。しかし……どうも、それだけではないような気がしませんでしたか?

 この脚本は、じつは「ウルトラマン」のために書かれたものでした。昭和57年ATGで企画され実現しなかった映画「元祖ウルトラマン怪獣聖書」。「ウルトラマン」からウルトラマンを抜いて「ウルトラQ」にしたのです。試みに「星の伝説」にウルトラマンをあて嵌めてみると納得できなかった部分の辻褄が合います。
 怪獣薙羅が出現して暴れるのですが誰にも攻撃されないまま退場しました。怪獣が出た以上、なんらかの決着がつかないと観客はすっきりできません。もしウルトラマンがいて、これを退治していれば、現代人に最後の抵抗をして敗れ、あきらめた宇宙人は地球を去っていったことになります。
 また、女宇宙人(高樹澪)が古代からの経緯(と心情)を、あなたにならわかってもらえる気がすると万城目淳に告白するのですが、柴俊夫演じる万城目淳は凡俗にしか見えません。映画版での職業はテレビディレクター。なぜ、この男が地球人の代表に選ばれたのか疑問だったのですが、その役がハヤタであったら万人が納得します。

「怪獣聖書」は「佐々木守シナリオ傑作集 ウルトラマン怪獣墓場」(昭和59年/大和書房)に収録されています。その脚本と実相寺監督と佐々木守さんの対談、そして佐々木さんによるあとがきを併せて読んだとき「怪獣聖書=星の伝説」の裏にあった主題が見えてきます。
 まず「怪獣聖書」が書かれたのは昭和57年なのですが、物語の時代設定は昭和42年秋になっています。この時期の日本にウルトラマンはいなかったのですが、佐々木さんとしてはその時でなくてはならなかったのです。猛烈な文化大革命の時代。ベトナム戦争反対運動に呼応して、日本でも学生運動が盛んだった時代。若者が共産主義革命の実現をめざしていた時代。古代から住んでいたという宇宙人のモチーフは「アイアンキング」で佐々木さんが書いた不知火一族や独立幻野党と同じく共産ゲリラだったのです。地球に失望して故郷の星へ帰るという結末は、よど号をハイジャックして北朝鮮へ亡命した赤軍の行動と一致します。
 共産主義革命に敗北した後に掲げるテーマは、自然への畏敬、自然保護くらいしかなかったのでしょうが、日本の国家体制への批判は、平成二年の「星の伝説」にもくすぶっています。

 私は共産主義を勉強したことはないのですが、自然保護とは直結しない思想だという気がします。労働者が尊ばれる社会だということですが、農業にせよ工業にせよ、その行為は自然破壊です。直接、自然に接触することの無いテレビディレクター等の職業にしても、農産物や工業製品の恩恵に浴しているかぎり同罪です。共産主義から派生した主体思想も人間を中心にするもので、自然あるいは神を人間の上におきません。
 そういえば「星の伝説」に出て来る宇宙人も日本人に紛れて日本社会で生きていました。自然破壊の加担者です。自然破壊の当事者が自然保護を訴える映画が「ウルトラQザ・ムービー 星の伝説」という結論になりそうなのですが……

 ならば、佐々木守さんが戦っていた相手は何者だったのか?それは天皇です。国民学校三年生の夏に終戦。小学校に改まった五年六年の担任だった宮本博先生に教えられたのが民主主義。輝くような素晴らしい社会が到来するはずだったのに、あいかわらず天皇がいたのです。天皇とは天界地界冥界の王にして、すべての神々と全人類とあらゆる動物、妖怪までも統べるもの。そんな人が民主主義国家や共産主義国家に存在するはずがありません。人の上にいるのですから、当然、人間の作った法律を超越しています。これでは法治国家でもありません。こんなはずではなかったと、佐々木守さんは「アイアンキング」でも「星の伝説」でも大和朝廷が成立する前の縄文時代に先住民族がいたことを主張して、皇統の正当を否定していたのです。


 怪獣映画やヒーロードラマでは起きる事件がでかいので、しばしば国政体制を揺るがすような騒動になります。それでも、やっぱり皇室は聖域で「超光戦士シャンゼリオン」でも「シン・ゴジラ」でも、国体に言及することはありませんでした。つい最近、天皇陛下はどうなったんやろと心配したのが「仮面ライダービルド」です。
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ペギラ


「宇宙船」Vol.12(昭和57年11月)。50年代空想科学映画集大成。宇宙船が創刊号以来提示してきた主題なのですが、読者の興味は日本の特撮作品、そしてフィギュアに移行していきます。初めて募集された自作SFモデルコンテストの結果が発表されています。
 作品研究は「忍者部隊月光」。海外の名作SF映画を紹介してくれるよりも、出来不出来に関係なく、日本の作品を検証して欲しいというのが読者の願いです。とくに昭和30年代の白黒作品は再放送の機会が無く、そのまま歴史から消えてしまいそうな危機感を特撮ファンは共有していました。「忍者部隊月光」は有名な作品なのですが、放送当時を知らない者には熱気が伝わってきません。放映リストを見て驚きます。昭和39年から41年にわたって130回もやっていたのです!後年CSで録画しながら観ていたのですが、途中でくじけてしまいました。音楽が渡辺宙明さんであることから、戦隊シリーズの元祖とする見解もありますが、黒タイツにベレー帽とブーツというスタイルの忍者集団が出てきます。これは、まさにショッカー戦闘員です。

 この年の七月に亡くなられた高山良策さんの訃報に、美術評論家ヨシダ・ヨシエという方が追悼文を書かれています。怪獣の造り手としての高山さんについては宇宙船読者のほうが詳細に御存知だろうという謙虚な書き出しなのですが、一箇所だけ否定したいところがあります。高山さんは昭和13年から昭和15年まで輜重兵として支那大陸に出征していました。ヨシダ氏はこれを、戦闘を主任務とする兵科よりも輸送業務だけの輜重兵は、おだやかな性格の高山さんにとってはすくいであったと書かれています。それは違います。輜重兵として招集されると、なんの教育もされずに現地に送られます。そして、後方の補給基地から前線へ弾薬糧抹を運ぶのです。他の兵種からは戦闘員として見られません。高山さんは、それなら自分たちは何だろうと考えて「牛か馬」という結論にたどりつきました。人間として相手にされていないのですから、いじめられることもありません。こういう待遇をされていると、心まで「牛か馬」になってしまいます。高山さんは、人間であるために絵を描き続けたのです。ただし、人間でありながら家畜の扱いを受けることは、銃で撃たれるよりも過酷な状態です。
 高山さんがウルトラ怪獣を造っていた時代は、ちょうどベトナム戦争の時期と重なります。社会主義とか共産主義に与するものではないにせよ、ジャングルにひそんで強大なアメリカ軍相手にゲリラ戦を続けるベトナム兵に、日本人の多くは心情的に味方せずにはいられませんでした。高山さんが怒ったのは、アメリカの爆撃機が爆弾の代わりにコンクリートの固まりを落としたときでした。「殺すなら人間として殺せ!」と。
 私は、コンクリートに当たって殺されるのと、高価な原子爆弾で殺されるのと、どっちがいいのか考えてみました。広島に原爆が投下されたとき、犠牲者や被爆者に同情するよりも、各国はその数値データを欲しがりました。牛や馬ですらない、ただの数字です。……いま、平成の日本人は、動物ほどの悲しみもないナンバーとして存在しているだけのような気がしてきました。

ケムール人


「成田亨画集」(昭和58年、Ⅱ昭和59年・朝日ソノラマ)怪獣研究家必見の本。意外と図書館や図書室に置いてあったりします。原画展もよく開催されているので本物をご覧になるのもよいかと思います。私は京都府大江山に建つ鬼のMONUMENTも見にいきました。バブル景気の時代、ときの竹下総理が地方自治体に“ふるさと創成資金”とかいう名目で一億円づつ配りました。これをもらった大江町は大江山に鬼の銅像を建ててやろうと考えました。そこにたまたま成田亨さんがあらわれます。日本の怪物である鬼を研究する目的で訪れていたのですが、話しをしていてこの人が彫刻家だと知った観光課の職員さんは「渡りに舟」とばかりに依頼をしたのでした。成田さんにとっても、これが最大の彫刻になりました。

 成田亨さんこそ日本の怪獣を定義した人です。
 渡辺明さんは怪獣は生物でなくてはならないと言っていました。キングギドラは宇宙怪獣でありながら外見は既存の地球生物の要素で構成されています。円谷英二は炎や光線を吐かせました。生物というより兵器に近い演出です。本多監督は、自己の人生観から災害あるいは戦争のような個人の力で抗いがたいものと解釈しました。東映は妖怪です。
 成田さんは怪獣は恐竜でも妖怪でもないと考えました。ウルトラQ怪獣をデザインしながらギリシャ哲学のカオス・コスモスの対立理論に辿り着きます。そして、怪獣をカオス=渾沌とするなら、ウルトラマンは必然的にコスモス=秩序となります。成田さんは円谷プロに対して、二つの問題で不満をいだいておられました。自分がデザインしたものが商品化されても権料が入ってこないこと。もう一つはコスモスの典型(キャノン)として完成させた彫刻作品ウルトラマンの姿に、他人が手を加えることです。芸術への冒瀆です。

 平成13年から製作された「ウルトラマンコスモス」。おとなしい怪獣に憑いて凶暴化させるカオスヘッダーという敵と戦います。カオスとコスモス…成田亨さんへのオマージュかと思いますが、二年にわたる長期シリーズになりパワーアップするたびにコスモスの姿がどんどん変っていきました。本当の顔もわからなくなってしまいました。これは渾沌カオスではないか。

ナメゴン


「ウルトラマン大鑑」(朝日ソノラマ・昭和62年)大げさな名前の本ですが、ようするに「ウルトラQ」から「ウルトラセブン」までの企画書集です。第一期三作に加えて「Woo」、フジテレビとの間で進められていた「ウルトラ・セブン」、「帰ってきたウルトラマン」の後番組(?)として考えられていた「戦え!ウルトラセブン」の企画書等も収録されています。特撮ファン必携の資料集ではあるですが、基本的にテレビ局やスポンサー向けの宣伝文なので、読んでいると空虚な気持ちにもなります。
 裏話をほじくるのが趣味の怪獣ハウスとしての読みどころはTBS側のプロデューサーだった栫井巍さんの特別寄稿。「夢を紡いだ人々」という題なのですが、クリエーターの純粋な精神を賛美するだけの甘い話ではなく、契約、予算、宣伝といった、夢を形にするまでの現実的な苦労が綴られています。ニューヨークのオックスベリー社を訪ねた円谷英二が金策のあても無いまま、最高位機種のオプチカルプリンターを発注してしまったところから、「ウルトラQ」放送開始日までの経緯が語られます。TBS側からの視点というのがウルトラファンにとっては新味で貴重です。TBSは宣伝と製作費回収の目的で怪獣ステージショーを計画するのですが、円谷英二は縫いぐるみ(原稿ママ)を外に出すことを許しません。電話では埒があかないので、栫井さん自身が円谷プロまで出向いて懇願し説得します。
「ウルトラQ」は全話の撮影を終了させてから放送順が考えられました。栫井さんは第1回はナメゴンの出る「宇宙からの贈り物」(制作No.5 監督円谷一 脚本金城哲夫)に決めていたのですが、円谷一監督が「飯島(敏宏)君に無理言って脚本を書いてもらったから第1回放送は『ゴメスを倒せ!』にしてほしい」と言ってきました。栫井さんはその要求を呑むかわりに、ストーリーが難解で面白いと思えなかった、やはり円谷一監督の「あけてくれ」を放送しないという交換条件を出します。栫井さんと一さんは学校の先輩後輩で、この二人の人間関係で成立した打ち明け話です。

 株主東宝から出向してきて円谷プロとTBS間の契約の証人になった人、オックスベリー社から派遣されてきて設置を指導した技術員、あるいは予算や実費など、すべて実名で具体的に書かれているのですが、「アンバランス」から「ウルトラQ」に題名を変えようと提言した人の名前はあかされていません。「会議の席で誰かが言った」となっています。誰だったのでしょうか?“ウルトラ”シリーズは、まさにその人の発言から始まったのです。

トドラ


 トドラは東宝映画「妖星ゴラス」のマグマにヒゲをつけただけの同じぬいぐるみです。いま一つの共通項は、どちらも最初の脚本には書かれていないのに営業サイドからの「怪獣を出せ」という要請に応じてむりやり割り込んで登場しました。けっきょくトドラに全部持っていかれた「206便消滅す」ですが、本当は東京上空の異次元空間で零戦にであう話でした。

 三菱A6M零式艦上戦闘機。1000馬力未満のエンジンしか使用できない現況で、海軍の要求は速度、旋回性、航続力などのスペックが世界最高レベルかそれ以上であること。軽量にして重武装、高速でありながら離着艦が容易。技術の常識に反する無理難題だったのですが、完成してみると計画目標をすべてクリアし、設計者の予想も超えるバランスのとれた飛行機になりました。「ウルトラQ」の企画当初のタイトルは「アンバランス」。石坂浩二のナレーションでも「すべてのバランスが崩れた世界…」と言っていますが、脚本、演出、音楽、出演者、怪獣…すべてが良くて、日本製SFドラマとして奇跡的なバランスを保った番組になりました。ウルトラQの精華はいまなお不朽です。
プロフィール

ハヌマーン&さとる

Author:ハヌマーン&さとる
怪獣本・特撮書籍の蒐集。

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