グリホン


「文藝別冊 円谷英二」(平成13年・河出書房新社)生誕100年の年に出た本。資料的価値は浅いのですが、私にとっては得るところの少なくない本でした。ガス人間土屋嘉男の寄稿「円谷さんへの手紙」この中で、ゴジラに「シェー」をやらせたら子供にうけると提案したのは自分だったと白状しています。手柄話のように嬉々として書いているのですが、「お前が犯人だったのか!」というところです。
 特撮マニアでない人の話も興味深く傾聴できます。慶應義塾の巽孝之教授が指摘しているのは、火山噴火や洪水などの報道映像が特撮映像と同じであること。これは円谷英二がカメラ位置を決めフィルムを編集した、特撮的視点とリズムを、現代のニュースカメラマンが無意識に受け継いでいる証で、敷衍して言えば、全ての日本人は、円谷英二の視線=特撮アイで現象をとらえているという仮説を立てておられます。
 一線を退いた有川貞昌特技監督へのロングインタビューが、この本の中心です。有川さんは、九七式大艇が出る航空映画「南海の花束」を観て感銘を受けました。海軍航空隊に志願し、艦上攻撃機の搭乗員に選ばれます。艦上攻撃機は、魚雷が主武器なので雷撃機という呼称の方が通りが良かったようです。そして、台湾の基地で「雷撃隊出動」を観ます。全て実写だと信じていました。「南海の花束」も「雷撃隊出動」も航空シーンは円谷英二が撮影していました。やがて、この人のもとでカメラマンになる運命を、有川さんは知りません。それよりも、雷撃機が発艦する空母が沈められ、有川さんは内地に戻り特攻隊に編入されました。二度出撃します。一度は敵艦隊が発見できず、もう一度は鯨の群の誤認でした。そして、8月15日に詔勅が下るのですが、継戦派と恭順派に分裂して大混乱になります。有川さんも降伏の意志はありません。継戦派は武装解除に応じず、陸軍航空隊の徹底抗戦派の集結する児玉、狭山の基地に飛んで叛乱部隊になりました。
 話がそれますが、この叛乱部隊の中に大山倍達がいました。「空手バカ一代」の中では海軍のパイロットになっていますが、事実は陸軍の整備兵です。大山倍達が劣等感を感じるほどにパイロットという人達はプライドが高かったようです。円谷英二に師事して後の有川さんも、三等飛行士の円谷英二を見下す気持ちが残っていたそうです。ついでに…東宝の脚本家須崎勝弥さんも学徒動員ながら雷撃機のパイロットでした。その経歴を買われて「大空のサムライ」の脚本を任されるのですが、撃墜王坂井三郎の前では、おこがましくてパイロットだったとは言えなかったそうです。

 叛乱部隊も鎮圧され解体しました。復員した有川さんは気力を失い三ヶ月ほど寝込みます。大山倍達は、なおも戦闘を終らせず、焼け跡でアメリカ兵退治を続けました。マッカーサーを殴り殺すつもりだったそうですが、進駐軍が機関銃で本格的に反撃してきました。大山倍達は房州清澄山に逃げ込みます。これが山籠り修行の裏の真相です。
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ハヌマーン&さとる

Author:ハヌマーン&さとる
怪獣本・特撮書籍の蒐集。

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